2ntブログ

日々玉砕

日常の出来事を適当に書いてます。

天虹と出会ったのは、ちょうど20年前の代々木アニメーション学院でした。
すぐに意気投合して、よく一緒に出掛けたりしてました。
アシスタントでも、1年半近く一緒に寝泊まりしてましたし、その後もサークル浅野屋を立ち上げてからすぐに同居して、一緒に漫画を描いてました。
実に14年近く、天虹とは一緒に寝起きを共にしていたことになります。

基本的に、天虹はグータラなヤツで、一般と比べてグータラな僕よりも(笑)、さらに輪を掛けて遊びがちなヤツでした(さらに輪を掛けてPuPがグータラで、究極何も仕事しなかったのが小倉庵です(^^;))。
男同士なんで、ケンカもしょっちゅうでしたよ。でも、日をまたいでケンカを持ち越したことは無いですね。
ケンカしてお互い鬱積した物を吐き出したら、すぐにまた元通りになってました。


5年前、色んな事情でアパートを引き払ってからも、お互いの時間が合えば、遊びに行ったりしてました。
とにかく麻雀が好きなヤツでね。収入の8割くらい麻雀に使ってましたよ。
まああいつに麻雀を教えたのは僕なんですが(^^;)

競馬も、昔はよく行きましたね。
あの頃は、何もかも順調という感じで、本当に毎日が楽しかった気がします。
対戦格闘やらRPGやら、やりたいだけゲームをやって、その中で気に入った物を同人で描いてました。
売り上げもとても良かったです。

そういう生活がずっと続くとまではもちろん思ってませんでしたが、まさかこんなに早く、その思い出が音を立てて崩れるとは、少しも思っていませんでした。





天虹が今日亡くなりました。





皆さんには黙ってましたが、天虹は末期癌でした。
最初に診察したときは、もちろんそんな事などつゆほども思いませんでしたが、雲行きが怪しいと思ったのが、緊急入院、緊急手術と、あまりにも早すぎる治療の対処でした。

恐らく癌だろうと告知されたのが、8/9です。天虹本人にも、もちろん告知されてます。
その時点で、かなり癌が進行してると予想されてました。

そして8/12の手術で、直腸全部と大腸の一部、肝臓の一部が摘出されたと思います。
実は詳しくは聞いてないのですが、恐らく、直腸癌からの転移だと思います。
天虹のお父さんが、摘出された病巣を見た限りでは、米粒のような癌がびっちりと付いていたそうです。
全身に転移していて、もはや放射線治療も抗ガン剤も不可能と言われました。

その時された告知では、あと1年は生きられない、持って2~3ヶ月、恐らく年を越すのは多分難しいと言われてました。
天虹が末期癌と知って、なんでこんな事になったんだろうと、眠れない日々もありました。
それでも、1ヶ月半後には一度退院出来ると言われ、取り敢えず、現状では面会が厳しいという事だったので、天虹が回復してくれるのをひたすら待ってました。

面会が出来るようになったら、天虹の御両親から御連絡下さるとのことだったので、こちらからは敢えて病状の詮索等はしませんでした。
とにかく、ご家族の心労を考えて、しばらくはそっとしておくのが一番と思いました。


そのまま、天虹の御両親から連絡が来るまで待っていたんですが、次に天虹の状態を知ったのは、一昨日の26日でした。
ここで天虹の余命が宣告されました。


余命は2週間でした。
そして、1週間もしないうちに、意識が無くなってしまうだろうとも言われました。


当初は恐らく余命2~3ヶ月と聞いていたし、一度退院出来るとも聞いていたので、本当に衝撃を受けました。
天虹が退院したときの思い出作りの計画とかが、全てどこかへと飛んでいきました。

天虹が入院したのが7/31。
8/12に手術をしてから2週間。
本当にあっという間に普通だった日常が変わっていき、ただただ混乱するばかりでした。



余命を聞いた翌日(昨日のことです)、すぐに面会に行きました。
本当に面会出来る状態では無いので、数分間という制限付きで、面会を許可して貰いました。

病室に入ると、元気なときの天虹は見る影も無いほど、本当に酷い状態でした。
目がうつろで、どこを見ているかも分からなかったので、看護士さんに「意識はあるんですか?」と聞いてしまったほどです。
目も首も、まるですわってない状態なんですよ。
でも、生気はまるで無い状態でしたが、意識だけはしっかりしてて、受け答えはちゃんと出来る状態でした。

1ヶ月半前、天虹の家に遊びに行って元気な姿を見ていたのに、久々に見た天虹が、あまりにも変わり果てていて、そばで呆然と立ちつくすような感じになってしまいました。
本当に掛ける言葉を失ってしまいました。

すると、天虹が僕の手を握ってくるんですよ。30㎝くらいしか動かせない状態で。
その左手には、僕があげた安い時計をはめていて・・・。

誰に見せるわけでもないのに、何に使うわけでもないのに、なんで着けていたんだろうと思います。
確かに大変気に入ってくれてました。こんな時計より、もっとイイ時計を自分で買えとも言ったんですけどね。
麻雀以外には何も興味ないヤツだったからなあ・・・。


天虹に、何かして欲しいことはないかと聞いてみたんです。
そしたらあいつ、なんて言ったと思います?

「冬コミの申し込みを・・・」

アホ、そんなもんとっくにやったよ!
そんなこと気にしないで、今は治すことだけ考えてろよと言いました。


天虹が苦しそうに話すので、僕があまりに心配そうにしていると、天虹が

「キッツが心配してるほど酷い状態じゃ無いんだよ。今はちょうどキツイ時期なんだけど、もう少ししたら楽になるらしいんだ。1ヶ月ちょっとで一度退院出来る予定だしね」

と、かすれた声を絞り出しながら、逆に僕を気遣ってくれました。
病室では泣かないつもりでしたが、この時思わずボロボロと涙が溢れてしまいました。
天虹は1ヶ月で退院どころか、あと4~5日で意識が無くなる状態でした。

泣いてしまったことで、僕が余命を知っていることを気付かれてはマズイので、慌てて、「イイ酒が家にあるんだ。退院したら、一緒に飲もうぜ。美味い店で退院祝いもしよう。オフ会のみんなも会いたがってたよ」と取り繕いました。


あいつは、「こうなったからには、もう覚悟してるよ。仕方ないよね」と、すでに自分がもう助からないであろうことも自覚してました。
かなり早くから、自分の状態が相当やばいことも理解してました。

あいつは8/12が手術のくせに、前日の11日に僕の家に電話を掛けてきたんですよ。
もう声がすっかり変わってしまっていて、始め誰からの電話か分からずに、イタズラ電話と思ってしまったほどです。

何の用で電話してきたかというと、手術前に、夏コミについて色々と確認したかったらしいんです。
夏コミは僕が一人で仕切らなくちゃいけなかったので、天虹がそれを心配してくれたんです。
手術後はもう電話出来ませんからね。

僕は、そんなことはいいから、明日の手術頑張れよと言いました。
その時、あいつはすでに、自分の命は長くないかも知れないと弱気を漏らしてました。
僕は、とにかく頑張れとしか言えませんでした。

手術後は、とにかく日に日に衰弱していったようで、あとは延命治療がどこまで効くかというところでした。
天虹本人も、恐らく年を越せないかも・・・と思っていたかも知れません。


僕の自惚れじゃなければ、あいつの真友は僕だけだと思ってますし、僕の真友も天虹だけと思ってます。
天虹は本当に怠け者でアホなヤツで、でも憎めないヤツで、僕のただ一人の真友で、なんでこんな事になったんだろうと、心の底からどうしようもない思いが溢れてきます。
ここまでお互いをさらけ出せる友達というのは、今後もう二度と作れないと思ってます。

結局、入院してからロクに会話も出来ずに、天虹は逝ってしまいました。
余命2週間の宣告から、たった2日の出来事でした。
行ける限り、天虹の面会に行くつもりだった矢先でした。


今となっては、あいつがまだ元気なうちに、もっと話したかった事がたくさんあります。
当初では、一度退院出来るとも聞いていたので、そしたら思い残すことが無いように、あいつのために時間を使おうと思ってました。
あいつに何をしてあげよう、何が希望なんだろうと、最後の思い出を考えてました。

結局、何も出来ずに天虹は逝ってしまいました。
病気を甘く見ていた自分、別れを甘く見ていた自分、何も出来ない無力な自分、全てがただ後悔だけのお別れでしたが、直前に会えたことだけは本当に感謝しており、一生の思い出になると思います。



そう遠くない自分の死を覚悟したあいつは、ベッドの上で毎日何を考えていたのか・・・。
一度退院出来ることを希望に、退院したあとの、数日数ヶ月の刹那の幸せを願っていた事かと思います。

悔いの無いよう、最後の思い出作りをしたかったのかも知れません。
挨拶したい人も居たかも知れません。
最後の言葉を伝えておきたかった人も居たかも知れません。

天虹は一度退院出来ると信じていて、その時にやり残すことが無いよう、色々と希望を膨らませていたと思います。
その希望を信じながら、きっと安らかに眠りについてくれたと信じています。


長文本当に失礼致しました。
皆様からも、天虹のご冥福を祈って頂ければ幸いです。

それでは・・・。